『レジェンド・オブ・ミュージカル』をみて

『レジェンド・オブ・ミュージカル in クリエ Vol.2』
2018年2月15日(木)

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   ありがたいことにU25招待チケットに当選したので参加。井上芳雄さんがホストとしてミュージカル界のレジェンドにお話を聞く『レジェンド・オブ・ミュージカル』 。昨年に続く第2回のゲストは宝田明さん。1934年生まれ 旧満州ハルビン出身。『アニーよ銃をとれ』『キス・ミー・ケイト』『マイフェアレディ』『ファンタスティックス』『南太平洋』『ミー&マイガール』などなど数多くの作品に出演。

   失礼ながら今回の機会まで宝田さんを存じ上げなかったのだが、舞台に登場された瞬間からその佇まいに心掴まれた。長身ダンディ、それでいてジョークもおっしゃるチャーミングさ。御年83歳というから驚き。 

  宝田さんの出演作を振り返りながら、貴重なお話をたくさん。印象的だったのは「才能」の話。才能があるかどうか、それは本人にも周りにも未知。しかしあるときふと発芽した才能を実際に「できる」レベルまで持っていく、それをやり遂げてこそ「プロ」。

   生歌は4曲。

『キス・ミー・ケイト』「So in Love」 井上芳雄
『南太平洋』「魅惑の宵」宝田明
『ファンタスティックス』「Try to Remember」宝田明井上芳雄
ラ・マンチャの男』「見果てぬ夢」宝田明

   作品内のたった1曲なのに景色がみえる。井上さんも宝田さんも素晴らしく、どの曲も感動的だったが、特筆すべきは宝田さんが「全ての御霊に捧ぐ」と歌った「見果てぬ夢」であろう。だれしもが平等にもてるものーー夢。そして多くの人からそれを一瞬にして奪い去った戦争。実際に戦争を経験された宝田さんが全身で歌う「見果てぬ夢」だからこそ伝わるものがあった。涙が止まらなかった。

   この若者待遇の機会を用意してくださった全ての方に感謝である。昔も、今も、そしてきっとこれからも、変わらずにミュージカルはたくさんの人に夢を。

NtLive “Angels in America” をみて

NtLive2018 Angels in America
~Part1 Millennium Approaches~

2018年2月2日〜8日 @TOHOシネマズ日本橋

2月3日(土) 鑑賞

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   ずっと観てみたいと思っていた演目、有難いことにNtLiveラインアップ入り。久しぶりの映画館。

  なかなかに観応えがある。というのも、第一部の上演時間は3時間半。さらにそれだけでは完結せず、来月放映される第二部がまた4時間、合計7時間半にも及ぶお芝居である。すごい。

  トニークシュナーの戯曲。舞台は1980年代、レーガン大統領時代のアメリカ。AIDSが同性愛者だけがかかる癌だと思われていた時代のお話。

  演劇界において同性愛がテーマにある作品は多い。レント、キンキーブーツ、プリシラ、春のめざめ、ラカージュオフォール、スリルミー、ファンホーム、、、ざっと思いつくだけでこれだけある。

  同性愛者であるということに対し「人と違う自分」への苦悩や「自分らしくあること」の大切さに重きをおいた作品は多いが、AiAはなんというかもっとリアルというか、きれいごとでないというか、生々しい。

  「どんなに間違った醜いものであったとしてもそれを殺すために全力で戦ってきたとしたら?それ以上僕にどうしろっていうんだ?」自分が同性愛者であるということを必死に押し殺し生きてきたジョー

  愛しているのに、人には言えない。AIDSで弱りゆく恋人の姿をみていられず彼を置き去りにしてしまうルイス。

  「おまえは、ゲイだのホモだのレズだのっていうラベルに拘りすぎる。そういったラベルは、そいつがだれと寝ているかを指しているんじゃない。そいつが食物連鎖でどの位置にいるかをあらわしているんだ。... 男と寝るおれをホモと思うかもしれないが、おれはホモじゃない。おれには力があるんだ。 」と言い張るロイ。

  大きな事件が起きるわけでもなければ、救いの手が差し伸べられるわけでもない。むしろ皆が苦しんでいる。なんだかどうしようもない気持ちになる。でも実際、人生とはそういうものだ。その中で冗談を言ったり、文句を言ったりしながら生きていくしかない。「2人では良かったのに、病気と3人の同居は窮屈なのね」プライアーがルイスに語りかけるこの言葉に人間の弱さをみた。

  リアルであると散々述べてきたが、そこに挟み込まれる「謎の声」や「先祖たち」などファンタジックな要因が対照的でまた面白い。これから更にその色が強くなるであろう良きところで第一部がおわってしまい不完全燃焼ではあるが、時間を忘れるくらい集中し観ることができた。第二部、登場人物それぞれの人生が交わりあっていくのが楽しみである。

『星の王子さま サン=テグジュペリ物語』をみて

ザ・ライフ・カムパニイ Vol.57

ミュージカル

星の王子さま サン=テグジュペリ物語』

2018年1月26日〜28日@立行会ホール

2018年1月27日(土)マチネ観劇

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  サン=テグジュペリの実人生と彼の著書『星の王子さま』を並行してみせる物語構成。2つの話の筋を並行してみせる(何か用語がある?知識不足。)とき、そのどちらかに重きをおく必要があるように感じる。1つが軸となり、果たしてそれを補強するもう1つなのか、それともそれと対比するもう1つなのか。

  『ラマンチャの男』は代表的なその例であり、作者のセルバンテスが彼自身の書いた戯曲の主人公ドン・キホーテを演じる。比重が大きいのはセルバンテスの実人生の方であり、彼の人生を補強するために戯曲が使われる。舞台上で長く見せているのは戯曲のほうだが、印象としてはセルバンテスの実人生がより記憶に残る、といった具合。※ちなみに『ラマンチャの男』は私の中で「全く期待してなかったのに実際観たらものすごく良かった演目」ナンバー1かもしれない。

  今回の『星の王子さま』でいうとそのピースが上手くはまらなかったきらいがある。2つの物語が5:5で描かれ、場面が等間隔。強弱がないというか、ピークがないというか。それぞれが主張しすぎていて別物に思われる。

  既に完成している『星の王子さま』に作者の人生をあえて付け加えたのだから、強調したいのは後者だろう。そしてピースがうまくはまらないもう1つの理由がおそらくここにある。この脚本だとサン=テグジュペリというよりも彼の妻、コンスエロの方が主人公なのだ。コンスエロだけではないーー母親、妹、操縦士仲間の妻、シルビア。女。空に夢見る男に魅了され、地上に1人残され待ち続ける女、その偉大さの物語である。確か「サン=テグジュペリの小説はこの母から生まれた」というような台詞があったと記憶しているが、もうなんだかこれだけで一本演目がつくれそうである。

  『星の王子さま』に出てくるバラは女、棘はプライドの象徴、モデルとなったのはコンスエロということをみせるのであれば、例えばバラとコンスエロを同じ役者が演じるなどすればまた印象は違ったのかもしれない。しかし本作でその双方に抱くイメージは真逆であった。

  『星の王子さま』パートでいうと、王子が旅した星が自惚れ屋と地理学者を省いた4つになっていたことが気になる。地球にいる人間はその面白可笑しく語られた星の住人を集めたようなものだという皮肉が弱まってしまうのが残念だった。美術セットに関しては、飛行機やりんごの木になり得る四角い箱が印象的でよかった。

  ただでさえ無数のテーマがあり掴み所の難しい『星の王子さま』である。それら全てを盛り込み、さらに作者の実人生を加えるとなるとなかなか難しい。詰め込みすぎたため焦点が分散してしまった。もったいない、そんな印象を受けた舞台であった。

『新春浅草歌舞伎』をみて

『新春浅草歌舞伎』@浅草公会堂 
2018年1月2日〜26日
2018年1月4日(木) 午前の部 3等席 
・お年玉年始挨拶 坂東新悟
・『義経千本桜』より「鳥居前」
佐藤忠信実は源九郎狐 中村隼人
源義経 中村種之助
静御前 中村梅丸
逸見藤太 坂東巳之助
武蔵坊弁慶 中村歌昇
・『元禄忠臣蔵』より「御浜御殿綱豊卿」
徳川綱豊 尾上松也
冨森助右衛門 坂東巳之助
御祐筆江島 坂東新悟
中臈お喜世 中村米吉
上臈浦尾 中村歌女之丞
新井勘解由 中村錦之助

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真っ赤な背景に舞う金色の紙吹雪、、、の中に佇むイケメンたち。一見どこぞのアイドルのようにみえる彼らは歌舞伎界を担う若手役者たちである。その派手なフライヤー(とイケメン)に惹かれチケットを取った歌舞伎ビギナーの戯言。

<舞台を観るときは真っさらな状態が一番!>派ではあるが、歌舞伎はさすがに無理だろうと予習して臨んだ。まずは『義経千本桜』より「鳥居前」。隈取りの登場人物による荒事、見得、立廻りなど歌舞伎の様式美に溢れており、初心者からするとこれぞザ・歌舞伎という印象。狐忠信と藤太の対決は見応えがあった。「狐六方」では忠信の威勢の良さに加え、随所に使われる狐手が愛らしく目が離せなかった。休憩を挟み、続いて真山青果作『元禄忠臣蔵』より「御浜御殿綱豊卿」。綱豊卿と助右衛門の緊張感のある駆け引きが見どころの台詞劇。台詞劇は流石に初心者には難しい––史実を予習していた分置き去りはなんとか免れたものの、まだまだ理解が及ばない。しかしそれでもひしひしと伝わってくる迫力は役者のつくる空気感の所以であろう。互いの様子を伺いながら綱豊と助右衛門が放つ膨大な駆け引きの台詞の後、訪れる沈黙がとても印象的であった。また最終場、助右衛門に対し本来の義を説き、能舞台に戻りゆく綱豊のその悠々とした姿と力強さが今もなお瞼の裏に焼き付いている。甚く感動したのは言うまでもない。

人生で3度目の歌舞伎鑑賞であったが、今回ふと、あの化粧の下に隠れた殿方のお顔を想像するのもまた歌舞伎の楽しみ方の一つではないだろうか、と思った。秘めたる美。(少々邪道な気はするが)何はともあれ、めでたい新年、観劇はじめに相応しい煌びやかな公演であった。午後の部もみたいぞ。

2018年三が日を終えて

明けましておめでとうございます。

あっというまに2017年が終わり、2018年になったと思ったらすでに3日が過ぎている。早すぎる。時間というものは本当に私たちを待ってくれない。 

昨年東京に引っ越してきて一人暮らしを始めた私にとって、今回の年末年始は随分と新鮮だった。というのも今までのそれはサイクルが決まってしまっていた—31日、家族でガキ使をみる、年を越す瞬間だけ除夜の鐘にチャンネルを変え、「明けましておめでとう御座います今年もよろしくお願いします」と互いに頭を下げ、蕎麦を食べる。1日、父方の祖母宅で親戚の集まり、お年玉をもらい、肉をたべ、だらだら、格付けをみて解散。2日、地元の氏神さまを参り、今度は母方の祖母宅で夜ご飯。3日、すこし動く。これを10年ほど続けてきた。 

それが今回はどうだ。31日、友人と箱根日帰り旅行、東京に戻り青山で2時間待ちリッチな蕎麦をいただき、明治神宮へ移動、極寒の中ひたすら待機し人にまみれて年を越す。1日、手の感覚がなくなり、そろそろ心臓が止まるかもしれないと本気で心配になる中ようやく順番がきて初詣、午前3時に帰宅。2日、午後7時から友人宅で3人の新年会、すき焼きを食べ、ファミコンをし、将来について語り終電で帰宅。3日、氏神さまにご挨拶に行き、スーパーで年始抽選会、参加賞で今年も平凡安定だわと帰宅。

知らないことが多過ぎた。31日夜の東京の電車が外国人だらけという事実。見知らぬたくさんの人と同じ目的を共有する興奮。終電を過ぎたあとも30分おきに走る終夜電車という存在。深夜を超えて寝静まった住宅街にひとり帰宅する謎の清々しさ。 

習慣というものは人の初めてを奪うのだと思った。どんどん新しい世界に足を踏み入れてゆきたい、そう思った2018年最初の3日間だった。ということで初投稿。今年からよろしくお願いいたします。